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『奇跡の人』――“三重苦”を乗り越え障がい者の福祉に尽くした活動家、ヘレン・ケラーの生涯とは

『奇跡の人』――“三重苦”を乗り越え障がい者の福祉に尽くした活動家、ヘレン・ケラーの生涯とは

出典:WIKIMEDIA COMMONS

ヘレン・ケラーといえば、世界で最も有名な視覚障がい者の1人でしょう。彼女の生涯を題材にした戯曲『奇跡の人』は世界中で上演され、日本では石原さとみさんや高畑充希さんなど実力派の若手女優が彼女を演じてきました。

けれど、その生涯や活動について実はよく知らない……という方もいるのでは? 今回は、そんなヘレン・ケラーの生涯について詳しくご紹介します!

視覚と聴覚を失ったきっかけ

ヘレン・ケラーは、1880年にアメリカ南部のアラバマ州で生まれました。父親は地元新聞のオーナー編集長でもある裕福な地主。ヘレンはそんなケラー家の第一子として、恵まれた環境で育ちました。

ところが、2歳のときにヘレンは高熱におかされます。現在では「しょう紅熱」という病気だろうと考えられていますが、この病気の後遺症で、彼女はじょじょに視力と聴力を失ってしまいました。

視力と聴力を失ったヘレンは、両親に対して身ぶりでコミュニケーションをとっていました。しかし、言葉などでの「しつけ」ができないこともあり、幼少期のヘレンはかなりわがままな娘に育っていったようです。

“サリヴァン先生”との出会いには、あの有名人が関わっていた!

ヘレン・ケラー_02
出典:WIKIMEDIA COMMONS

そんなヘレンの運命を大きく変えたのが、家庭教師として派遣された“サリヴァン先生”との出会いです。写真右側の女性ですね。

アン・サリヴァン(通称アニー)は自身も幼い頃から弱視でしたが、マサチューセッツ州の盲学校に入学し、14歳のとき手術を受け視力を回復。貧しい家庭の出身ながら、盲学校を主席で卒業するという超優秀な女性でした。

そんなアニーをヘレンに引き合わせる立役者となったのが、アレクサンダー・グラハム・ベル博士です。ベル博士といえば電話の発明で有名な偉人ですが、実は自身の母と妻が難聴者だったことから、ろうあ者の教育研究や支援でも第一人者だったのです。

ベル博士のもとを訪れたケラー夫妻は、そこでマサチューセッツ州の盲学校を紹介してもらい、聾(ろう)学校から選ばれたのが当時21歳のアニー・サリヴァンでした。ヘレンが7歳のときのことです。

“言葉”を手に入れたヘレン・ケラー

ヘレン・ケラー_03
出典:WIKIMEDIA COMMONS

サリヴァン先生は、自身の経験や知識を活かして、ヘレンに厳格かつ献身的に教育をほどこしていきます。彼女によって、指文字、しつけ、言葉を教えられたヘレンは、やがて奇跡的にも“話すこと”ができるようになりました。戯曲『奇跡の人』では、このあたりが物語のハイライトになっています。

サリヴァン先生は、その後も教師として友人として、約50年にわたりヘレンを支えたとされています。

話すこと・言葉を手に入れたヘレンは、その知性を開花させていきます。ボストンの盲学校、聾学校で学び、ケンブリッジ女子学院を経て、最終的には現在のハーバード大学であるラドクリフ・カレッジを優秀な成績で卒業しました。

視覚と聴覚を失ってもなお、ここまで才能を開花させたヘレン・ケラー。彼女がいかに努力を重ねたかは、想像も及びません。

世界中をまわった活動家、ヘレン・ケラーの名言

ヘレン・ケラー_04
出典:WIKIMEDIA COMMONS

ラドクリフ・カレッジを卒業したヘレンは、障がい者の救済を自分の使命だと考えました。そして、執筆と講演活動を精力的におこなうようになります。

ヘレンは婦人参政権運動、産児制限運動、公民権運動などさまざまな政治・人道運動に参加し、アメリカ各地で演説をおこないました。著書やスピーチでの名言もたくさん残っているので、そのいくつかをご紹介します。

“私が皆さんの「目に見えるチャンス」です。私は今、皆さんのドアをノックしています。ノックするかたわらで、すぐにドアが開くことを願っています。”

引用元:ログミー

“世の中は辛いことでいっぱいだが、それに打ち克つことも満ち溢れている”

引用元:ウィキペディア

“もしもこの世が喜びばかりならば、人は決して勇気と忍耐を学ばないだろう”

引用元:ウィキペディア

目の障がいを克服したサリヴァン先生、そんな先生のサポートを受け障がいを乗り越え、さらにサポートする分野を開拓していったヘレン。2人の女性の素晴らしい努力と能力に裏づけられた言葉たちは、今も私たちの背中を力強く後押ししてくれます。

ヘレン・ケラーと日本との交流

ヘレン・ケラー_05
出典:WIKIMEDIA COMMONS

最後に、ヘレン・ケラーと日本との関係についてもご紹介しておきましょう。87歳で亡くなるまでの間に、ヘレンは3回来日しています。

最初の来日は1937年、次が1948年、最後が1955年でしたが、いずれも日本国民の熱い歓迎を受けたようです。

とくに戦後間もない1948年の来日では、2ヶ月ほどの滞在期間で全国を講演してまわり、これが2年後の「身体障害者福祉法」制定につながったとされています。

このとき、現在の東京ヘレン・ケラー協会と社会福祉法人日本ヘレンケラー財団も設立されました。これらの協会や財団では、視覚障がい者の教育や福祉施設の運営などさまざまな活動をおこなっています。

こうして、ヘレン・ケラーが切り拓いた障がい者支援の道は、今も世界各地で続いているのです。

来年2018年は、ヘレン・ケラーの没後50年です。この機会に、『奇跡の人』の生涯に思いをはせてみてはいかがでしょうか?

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【参考】
ヘレン・ケラーの生涯|東京ヘレン・ケラー協会
http://www.thka.jp/helen/life.html
ヘレン・ケラー「私こそが”目に見えるチャンス”です」 視覚障害者補助の道を切り開いた、伝説のスピーチ|ログミー
http://logmi.jp/14842
ヘレン・ケラー|wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%98%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%B1%E3%83%A9%E3%83%BC
社会福祉法人日本ヘレンケラー財団HP
http://helenkeller.jp/

目ディア

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